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豊津
【とよつ】


旧国名:豊前

英彦(ひこ)山山地から北流する今川と祓川流域の洪積台地に位置する。貝原益軒は当地のことを「国分原トテ方一里ノ広キ原」と記し(豊国紀行),地元では樹木雑草が繁茂して通行が困難であることから「難行原」,転じて「南郷原」と呼んでいた(京都郡誌)。江戸期は国分村のうち,西方丘陵の原野であったが,天保年間小倉藩営により新田開発が行われ,錦原と命名された。開発担当者は,郡代原源太左衛門・仲津郡筋奉行細野堅助・同山奉行馬場庄助など(同前)。天保11年には「家数都テ四十軒許リ」となり(中村平左衛門日記),のち山奉行が役宅を構えて常駐した(仏山堂日記)。今井津祇園社錦原御幸記録によれば,難行原は開発以来「数多町家建立」され,牛馬市が立てられた。また天保10年10月牛馬市の繁栄を図るため,毎年春秋の市には市の神である今井津祇園社の渡御を命ぜられ,恒例行事として祭事・芝居が行われた。当日には近郷から人々が群集し,錦原の地には菓子屋・紺屋・遊女屋・定芝居などもできた(同前)。明治2年地内の巣鳥の地を小笠原氏は居城地に定め藩庁の建設を始め,翌年香春(かわら)から移転。明治2年末,同藩から新政府に提出された願書には,「同所(当地)故名豊津郡ト相唱候間,右故名ニ復シ藩名豊津ト被仰付被下度」と見え,翌年正月当地の古名という方便(史実ではない)によって地名を豊津にし,藩名に冠することが許可された。地内の丘陵地に,弥生~古墳時代の住居址・祭祀址・古墳がある。
豊津町(近世)】 明治3~4年の城下町名。
豊津村(近代)】 明治4~10年の村名。
豊津町(近代)】 明治10~22年の町名。
豊津村(近代)】 明治22年~昭和30年の自治体名。
豊津町(近代)】 昭和30年~現在の京都郡の自治体名。
豊津(近代)】 明治22年~現在の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7213130