100辞書・辞典一括検索

JLogos

10

中原村
【なかばるむら】


旧国名:豊前

(近世)江戸期~明治20年の村名。豊前国企救(きく)郡のうち。境川の河口右岸に位置する。境川は,筑前国と豊前国との国境線であると同時に,江戸期には福岡藩と小倉藩との領境にもなっていて,川の左右に同じ地名があった。小倉藩領。今村手永に属す。村名は,「人畜改帳」には見えず,「正保国絵図」には「干上(ひあがり)ノ内」と記されている。村高は,「元禄国絵図」90石余,「天保郷帳」221石余,「旧高旧領」163石余。元禄14年の「元禄国絵図」作成にあたって,小倉藩と福岡藩は,企救郡中原村と遠賀(おんが)郡中原村の国境線をめぐって相論したが,小倉藩領中原村が福岡藩領内で馬飼草などを切り取るについては運上銀を提出することで和解をみた(黒田新続家譜)。夫役高は文化5年84石余(企救郡役目高指引帳)。万延年間の村勢は,竈数33・人数164(男86・女78),牛30,田7町4反・畠13町4反余,物成34石余,小物成は米1石・銀4匁余(企救郡各村覚書)。明治10年頃の村域は,東西7町20間・南北14町2間,田17町2反・畠23町4反・宅地2町3反・山林19町・原野1反,戸数53戸・人口224(男125・女99),牛20・馬2,水利は境川のほかに溜池10(豊前村誌)。同20年中井村の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7213353