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中矢加部村
【なかやかべむら】


旧国名:筑後

(近世)江戸期~明治9年の村名。筑後国山門(やまと)郡のうち。「天保郷帳」には中矢箇部村とある。矢部川支流の沖端川中流右岸に位置する。文禄4年12月1日付の筑後国知行方目録に「中矢賀部村」の石高として258石2斗4升を挙げる(立花文書/県史資料4)。柳川藩領。蒲池組に属す。村高は,「元禄国絵図」366石余,「天保郷帳」370石余,「旧高旧領」424石余。明治5年の反別は27町余(郡郷/立花家文書)。北部は久留米藩領立石村に接し,久留米往還の藩堺に柳川久留米藩堺木があり,現在は藩堺石が建てられている。東部に地能神社,街村に祇園社,西部に転入寺がある。転入寺はもと天台宗で,天正年間に廃絶し,元禄年間浄土宗寺院として復活し現在に至る。明治9年柳河村に合併。現在の三橋町柳河のうち。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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