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名島城
【なじまじょう】


戦国期の平山城。福岡市東区名島1丁目に所在。この城は天文年間に立花山城主立花鑑載が支城として創築した。豊臣秀吉による九州出兵後,天正15年6月,小早川隆景が筑前一国と筑後・肥前国内で各2郡を領し伊予から転じ,名島を居城にし,改修を行った。秀吉夫人北政所の甥秀秋は,隆景の養子に迎えられて小早川家を継ぎ,慶長5年9月,関ケ原の戦に際し,戦い半ばで西軍から東軍に転じ,勝敗を決定づけ,戦後,35万7,000余石から51万石に加封され,備前岡山城に移った。代わって同年12月,東軍に属し18万石から筑前52万3,000余石に増封された黒田長政が豊前中津城から名島城へ入城した。だが,多々良川河口部に位置する名島城は三方を海に囲まれ,東は山続きであり,城域が狭いうえに城下町の発展も図れなかった。このため,慶長6年,那珂郡警固村福崎に福岡城構築を開始する。このとき名島城の石垣・櫓・門などすべてを新城に運んだといい,現在,福岡城内の舞鶴中学校付近に名島門と称する城門が残り,福岡城の主要部が落成すると長政は名島城を廃したという。名島城の規模は東西300m×南北100m,北に本丸,その南側に二の丸を配し,両郭の間を堀切で画していた。「続風土記付録」に小早川氏入国時とされる名島城絵図が収載され,県立図書館などには黒田氏入国時の城絵図が所蔵される。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7213407