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生津城
【なまつじょう】


戦国期の平城。三潴(みずま)郡三潴町生岩字城田に所在。この地はいわゆる低地三潴にあり,周辺にはクリークが巡る。天正6年,大友氏が日向耳川で島津軍に敗れたのち,西牟田家周は大友氏から離反して竜造寺氏に属したが,大友氏の攻撃を防ぐには,西牟田城が堅固ではなかったため,天正7年,生津城を築いたが,同11年には落城したと伝える(筑後将士軍談)。城の構造は本丸・二の丸・三の丸があり,周囲を濠が巡り,本丸の規模は東西73間,南北62間とある(同前)。また明治6年の調査では,濠を五重に巡らし,五重目の濠の内側には土居があり,それを築地といっていたことなどが報告されているが,現在では圃場整備などにより濠の一部が残るのみで,それらを確認することはできない。城の周囲は低湿地で,おおたんぼ(大泥池)と呼ばれて,このような自然地形を利用した城であった。西牟田氏は嘉禎年間,三潴郡西牟田に移り住んで城を構えたと伝え(同前),戦国末期には短期間に西牟田城から生津城へ,さらに城島城へと居城を移しており,家の存続をかけた激しい動きがうかがわれる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7213436