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二十町村
【にじっちょうむら】


旧国名:豊前

(近世)江戸期~明治20年の村名。豊前国企救(きく)郡のうち。企救半島中部,戸上山の北西麓に位置し,西は関門海峡に臨む。地名は,往古当地に田20町が開かれたことに由来するという(企救郡誌)。小倉藩領。富野手永に属す。村高は,「正保国絵図」「元禄国絵図」226石余,「天保郷帳」289石余,「旧高旧領」233石余。享保飢饉の餓死者は34人(開善寺過去帳)。家数・人数は,万延元年14・57(企救郡竈数人数書上帳),天保9年9・60(巡見使答録),明治10年22・87(二十町村誌)。同13年頃中原嘉左右が銅山開発。同20年柳ケ浦村の一部となる。なお,当地付近は同20年頃以後も二十町と通称され,大正12年頃からは上二十町・下二十町などの名称も用いられた。松ケ江地区への交通上の要路に当たり,明治30年頃から旧庄屋で豪農の中村家により,天草から小作人多数を招いた。同40年小森江海岸に鈴木商店酒精製造所が創設されると,焼酎を入れる雲助の製造が行われ,そのほか煉瓦・火鉢・植木鉢・壺などを製造,販路は北九州一帯から山陰方面に及んだ。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7213551