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西津留村
【にしづるむら】


旧国名:筑後

(近世)江戸期~明治9年の村名。筑後国山門(やまと)郡のうち。矢部川の下流右岸の平野部に位置する。正保2年津留村が東西両村に分かれたことにより成立。地内には享禄3年鷹尾城主田尻親種が築いた五外城の1つ津留城跡がある。津留の地名は田尻家臣津留因幡守が城主であったことによる。柳川藩領。垂見組に属す。村高は「旧高旧領」511石余。明治5年の反別は29町9反余(郡郷/立花家文書)。「元禄国絵図」「元禄郷帳」「天保郷帳」では津留村一村として記され,当村名は見えない。正保2年矢部川の改修によって江崎~鷹尾間を西に蛇行・迂廻していた川を南北に直線化したため津留村は川の東西に分離し,矢部川の西岸が西津留村である(県史資料4)。文化元年三潴(みずま)郡西蒲池の長楽寺を当村に移す(柳河年表/県史資料5)。氏神として天満神社がある(旧柳川藩志)。明治9年六合村の一部となる。現在の大和町六合のうち。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7213553