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西町上
【にしまちかみ】


旧国名:筑前

(近世)江戸期~明治7年の町名。江戸期は博多の1町。那珂川下流と御笠川下流に挟まれて位置する。西町流のうち。北は蔵本町・西町下と接し,南は箔屋番がある。天正15年の太閤町割の際,最初に縄張りをした町を市小路町とし,その西側の町であることから町名となった(続風土記付録)。また,豊臣秀吉と親交が深かった豪商神屋宗湛が町割を命ぜられ,当町を興したことから,宗湛町とも呼称された(続風土記付録)。慶長年間の御祓日記に宗湛町の名が見られる。江戸初期年行司12人の1人の中野氏が居住したことから,当町を中野番とも呼称(石城志)。元禄3年の家数11(続風土記)。宝暦年間の家数28,間数104間余(石城志)。町には揚池神社があり,境内に袖の湊の入江の名残をとどめた揚池があった。また博多の東西を横断する大水道が通る(三奈木黒田家所蔵福博古図)。享保年間には酒屋の吉屋,貞享年間のころ柴崎氏の酒肆佐賀屋が居住(博多津要録・石城志)。慶応2年当時は,大商人達が名を連ね,呉服の紙屋,乾物の八百屋,質の松屋,醤油の煙草屋,箸物の釜屋があった(博多店運上帳)。なかでも紙屋は紙与となり,一族は明治期~昭和期にかけて町内に呉服・金物・和洋紙の店を出した。紙与の当主渡辺与八郎は明治期の福岡市の発展に寄与し,特に博多電気軌道の発起人として活躍,没後,彼の功績をたたえて柳橋~法印田を渡辺通りと名付けた。明治7年上西町と改称。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7213612