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廿家町
【にじゅうやまち】


旧国名:筑前

(近世~近代)江戸期~昭和41年の町名。江戸期は博多の1町。御笠川下流左岸に位置する。東は金屋町横町,西は奥小路に続く横筋町(三奈木黒田家所蔵福博古図)。元禄年間は東町流のうちの廿家町東と呉服町流のうちの廿家町西に分かれ,家数は東9,西11。また山笠や松囃子の行事などは東西別々に行った(続風土記)。「博多津要録」の元文5年の条には廿家町として見え,のち東西は合併したものとみられる。宝暦年間の家数21,間数52間余(石城志)。浜や郡部に近いため,慶応2年当時は志荷商人・志荷商人宿・貸蒲団屋・生魚・柑類山野菜・筆・古道具の店が軒を並べた。また,豆腐・提灯の製造業,藍染・表具職人などが居住した(博多店運上帳)。明治4年の町格は下の上で,定切銭は2貫余を納めた(石城遺聞)。明治12年の戸数23,人数131,民業は工3戸・商12戸・雑業6戸(福岡区地誌)。明治11年福岡区,同22年福岡市に所属。明治22年の戸数22・人口114(福岡市誌)。横町・廿家町・奥小路あたりを横町筋といったが,当町の志荷商人宿の1つは「紅卯旅館」として大正期から昭和期にかけ栄えた。昭和前期の地図をみるとそのほかタンス店・米屋・醤油店・カマボコ店などがあったが,昭和20年の空襲で全焼した。戦後は昭和道路と交わる新道ができて鏡町との三叉路は十字路になった。昭和41年下呉服町となる。現在はビルが立ち並びむかしの面影はない。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7213635