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野々宇田村
【ののうだむら】


旧国名:筑後

(中世)戦国期に見える村名。筑後国三池郡のうち。天文19年頃と推定される田尻氏の知行村付(田尻文書/佐賀県史料集成7)に「のゝう田 六町」と見える。元来三池氏領であったと思われるが,天文19年に菊池義武と結んで大友義鎮に背いた三池親員を討った田尻親種が,その功により新加増地として獲得したものと思われる。その後天正7年,竜造寺氏に付いた田尻鑑種は,再び大友方の三池鎮実討伐に功を立て,同年6月1日改めて竜造寺氏から同地を安堵された。この時の判物(同前)には「野々宇田六町」と記されている。なお,天正15年豊臣秀吉の九州統一後は立花宗茂の知行地に組みこまれ,文禄4年12月1日の筑後国知行方目録(立花文書/県史資料4)では「怒縄田」と記され,村高は145石4斗6升となっており,近世には怒縄田(ぬなわだ)村として見える。現在の大牟田市宮崎のうちに比定される。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7213725