羽犬塚
【はいぬづか】

旧国名:筑後
八女(やめ)丘陵の西部,山ノ井川(藤島川)中流域に位置する。「延喜式」兵部省諸国駅伝馬条に筑後三駅の1つとして見える葛野駅の所在地は当地付近と考えられる(稿本八女郡史)。古くから九州街道(坊の津街道)の要地。地名は,天正15年「豊公薩摩下向の時,御供の犬に翅生したるを此地に埋め塚に築きたるよりかく号した」という(筑後秘鑑・六所宮縁起・筑後志)。宗岳寺にその犬のものと伝えられる塚も残るが,羽のはえた犬の塚は非現実的であり,地名由来を英雄秀吉と結びつけた付会であろう。当地には葛野駅と関連して,牛馬や車・道に関する小地名が多く残っており,羽犬塚は駅馬(はゆま)塚あるいは駿馬(はやま)塚の転訛と考えた方が妥当であろう。六所宮は,承平年間坂東寺熊野権現より勧請と伝え,また境内の石塔に正平3年の銘があることにより同年の創建ともいう。棟札は明和5年の再建を証する。羽犬塚村・秋松村・徳久村の総社。蛭子宮には正平14年の碑文がある(稿本八女郡史)。
【羽犬塚町(近世)】 江戸期~明治22年の町名。
【羽犬塚村(近代)】 明治22年~大正4年の自治体名。
【羽犬塚町(近代)】 大正4年~昭和29年の八女郡の自治体名。
【羽犬塚(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7213747 |





