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杷木神籠石
【はきこうごいし】


神籠石式山城。朝倉郡杷木町林田・穂坂に所在。国史跡(昭和47年指定)。町南東部の針目山から筑後川に向かって張り出している尾根の先端に位置し,現在は国道386号により分断される。町域は,旧筑前国に属し,大宰府から豊後に抜ける駅家の1つであった。昭和42年4月,ドライブイン建設計画に伴う削平工事の折,この神籠石が発見された。同44年,保存のための発掘調査が町の委嘱を受けた県文化課により実施された。調査は規模の確認を重点に行われ,水門(2か所)と列石・土塁が認められた。第1水門は,国道から神籠石内に入る地点に位置しており,南西に口を開く谷の入口にあたる。現在は道路の下になっており,第1水門の一部を見られるだけだが,谷の水が通路の下の暗渠を流れ,水門の石垣を流れ落ちている。石垣は三段積みで,高さは1.4m。第2水門は,第1水門の北250mの地点にあり,水門の内側は緩やかな谷が200mほど奥まで続き,階段状の水田となっている。水門の奥行は11.7m。また,列石の調査により,列石および土塁の築造過程が確認された。「杷木神籠石」では「まず傾斜をもった自然地形を利用し,その一部を削りとって平坦面をつくり,そこに運んできた原石を列石に加工し,その石屑を平坦面にしきつめ,地山を切りとった所から約2.5mほど前方に列石を据え,その間に土塁を築いた」としている。土塁は版築となっている。列石線は,中に谷を2つ含む山の稜線に沿って造られ,形は南西方向に向いた直径800m,短径約400mの楕円形をなし,その比高は約90mである。また,全長は約2.25kmで,列石線の外側は全周急な傾斜地であり,南に筑後川を控え,山城としては自然の要害をたくみに利用したといえる。なお,この調査では,帯隈(おぶくま)山・おつぼ山(以上佐賀県)・女山(ぞやま)(山門(やまと)郡瀬高町)などで確認された列石前面の柱穴は確認されていない。この神籠石内には,中世の長尾城跡・鵜ノ木城跡が所在。




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「角川日本地名大辞典」
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