端地村
【はたじむら】
旧国名:筑後
(近世)江戸期~明治9年の村名。筑後国山門(やまと)郡のうち。波多地村とも書く(正保国絵図)。南流して有明海に注ぐ沖端川左岸に位置する。村ではあるが柳川城下のうちに含まれ,宮永組に属す。村高は,「正保国絵図」280石余(うち新田9斗余),「元禄国絵図」218石余,「天保郷帳」231石余,「旧高旧領」277石余。文政3年治作が丸薬東天紅の行商を許可される(郡役所日記)。明治5年の反別は14町余(郡郷/立花家文書)。同9年筑紫村の一部となる。現在の柳川市筑紫町のうち。
| KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7213821 |