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八田村
【はったむら】


旧国名:豊前

(近世)江戸期の村名。豊前国築城(ついき)郡のうち。城井(きい)川の下流左岸に位置し,周防(すおう)灘に面する。小倉藩領。八田手永に属す。宝永年間に東八田村・西八田村に分かれたというが,郷帳類では八田村1か村として見える。村高は,「正保国絵図」1,010石余,「元禄国絵図」1,063石余,「天保郷帳」1,521石余,「旧高旧領」1,556石余。元和8年の家数27・人数54,牛馬10(人畜改帳)。八田手永の大庄屋が居住した。村内の横井塚池は元禄元年,堤池は明和8年,横井塚乙池は元禄11年,小野池は承応元年,文田池は寛永元年に築造された(築上郡志)。享保の飢饉では211人が餓死(開善寺過去帳)。宝暦3年の内高1,417石余のうち物成高は572石余(築上郡志)。明治2年漢学者小野原善言によって小野原塾が興された(県教育百年史)。社寺に正八幡神社・法然寺・長泉院がある。法然寺には天正14年黒田孝高が滞在した。現在の椎田町西八田・東八田にあたる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7213856