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稗畑
【ひえはた】


旧国名:豊前

(中世)鎌倉期から見える地名。豊前国企救(きく)郡のうち。吉田村氏社の中心的社領。元徳2年10月11日沙弥崇観(武藤頼村)によって稗畑4反20代が吉田村氏社に寄進されている。次いで永徳3年9月大内義弘奉行人によって吉田大宮司が八幡宮・竜王宮・氏社3社神領1町7反20代を安堵されるが,その中に氏社領として稗畑4反20代が含まれていた。延徳4年大内政弘上洛に際し豊前内寺社領に半済が行われるが,吉田大宮司側はこの4反20代は不知行であるとの主張をする。その後明応元年,文亀4年,永正17年にも同様の主張がなされるが,天文20年7月の玄勝等連署仕読状には「二段十代は稗畑と号し長野兵庫允の分領内にある由申すなり」とあり,不知行の由来が記されている。永禄11年の吉田保竜王宮・八幡宮社領差出案には「田数壱町参段」とあり,この時期にはすでに稗畑分4反20代は除外されている(以上,平野文書/豊前史料集成2)。近代の字名に上吉田稗畑が見えることから(明治15年字小名調/県史資料10),現在の小倉南区吉田のうちかと考えられるが,前述の長野氏との関係から,戦国期長野氏支城稗畑山城のあった小倉南区高津尾のあたりとも考えられる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7214026