100辞書・辞典一括検索

JLogos

4

東小田村
【ひがしおだむら】


旧国名:筑後

(近世)江戸期~明治9年の村名。筑後国竹野郡のうち。耳納(みのう)山地中央部の北方,筑後川中流左岸の微高地上に位置する。中世には,西小田村・中小田村とあわせて小田と称された。はじめ柳川藩領(田中氏),元和6年からは久留米藩領。諏訪組に属す。村高は,「元禄国絵図」44石余,「在方諸覚書」の古高60石,「天保郷帳」63石余,「旧高旧領」116石余。宝暦年間頃の役高は197石,久留米より4里半(在方諸覚書)。嘉永元年頃の作柄は「田作凡そ7俵,粟凡そ6俵」(廻村書留)。文化4年の耕地は田2町余・畑田5町余・畑9町余(農政農民史料集)。水利は大石・長野水道。宝暦4年の大一揆では,首謀者として1名が刎首,1名が過料2貫文の処罰をうけた(久留米藩百姓一揆ニ関スル調査)。嘉永年間頃の「東・中小田二か村の義は已前より零落の村柄にて,先々庄屋私祖父代末年より衰微いたし」と記され,庄屋はその原因を「全く余米作りの者共ニて」と本百姓の没落・小作人化に求めている(廻村書留)。氏神を祀る坂本大明神がある(寛延記)。明治9年野田村の一部となる。現在の田主丸町野田の一部にあたる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7214048