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東公園
【ひがしこうえん】


福岡市博多区東公園と東区馬出1丁目にまたがる県営総合公園。面積約6.9ha。この地は,かつて千代の松原あるいは箱崎松原と呼ばれる白砂青松の海岸で,文永11年の元寇の際は激戦地であった。「筑前国続風土記」によると,大江匡房・宗祇などはこの地について記し,多くの人々が和歌にも詠み,天正15年の豊臣秀吉の九州出兵の際は,千利休がここで茶会を催したという。また,大友宗麟・石田三成などはここの松の伐採を禁じ,福岡藩主黒田氏も伐採・皮はぎを禁じ,落葉取得をめぐる那珂郡の村々と博多の争いに対して,元文年間,松原すべてを那珂郡に属させることに決し,管理を命じた。明治9年,松原は公園最適地として,那珂郡馬出村・堅粕村地内約20haの下渡し願いが認められ,同12年,東松原公園として実質的に開園(一般には同9年の開園とされ,また箱崎公園と称したともいう)。同33年,公園組織改革により,県の直轄となり,西部の西公園に対して東公園と改称。当初は松林が深いために利用者は少なかったが,同37年,元寇に関連のある亀山上皇像と巨大な日蓮像が建立された。大正9~10年頃には害虫の大発生で大量の松が枯れたが,大正末期からは整備も進み,昭和8年8月,北東部に敷地約2haの御大典記念動植物園が開園(同19年閉園),武徳殿なども開設された。戦後,武徳殿は九州貿易分館および占領軍施設図書館に利用され,同31年,約21haの国有地の無償貸与とともに都市計画公園事業が決定。これにより,東公園は面積20.9haを有し,野球場・テニスコート・サッカー場・弓道場・警察武道場などを備えた運動公園として発展した。その後,県庁舎の老朽化に伴い,同53年11月,公園北西部に新庁舎建設工事が始まり,同56年11月に完成。公園の全面的改造も行われ,面積は約7haに縮小,道路で分離された北西部分は千代東公園となった。南西部の入口に文化年間の箱崎浜灯台を模した石塔が立つ東公園内には,2つの銅像のほか,箱崎公園碑・芝生広場・滝・池・壁泉・梅園・児童遊園地,ケヤキやツツジなどの樹木が配された,水と緑の公園に生まれ変わった。また,国土地理院による4等三角点の測量標もある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7214069