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東千手村
【ひがしせんずむら】


旧国名:筑前

(近世)江戸期~明治8年の村名。筑前国嘉麻郡のうち。古処山北側の山地で,山間地に水田がひらけ,集落が点在する。地名は,文明年間に創建された曹洞宗千手寺に由来するという。往昔は碓井(うすい)郷内で東分(とうぶ)村といい,この郷5,000石は代々千手氏の食邑であったという(嘉穂郡誌)。中世の史料には千手村と見えることが多く,天正年間の「指出前之帳」にも千手村とある。しかし,江戸初期には東分村と見える(慶長国絵図・正保郷帳)。戦国期は秋月種実が古処山に居城したが,天正15年豊臣秀吉に攻められて椎木村境で降伏し,その場所は降参畠(芥田ともいわれる)と呼ばれている。慶長5年福岡藩領,元和9年からは秋月藩領。枝郷に千手村(千手町)・長野村・川底村・芥田村がある(元禄郷帳・天保郷帳)。千手町は慶長7年に当村から分離した宿場町。村高は,「慶長国絵図」1,717石余,「正保郷帳」1,926石余(田1,673石余・畠252石余),「元禄国絵図」1,268石余,「天保郷帳」1,270石余,「旧高旧領」1,307石余。産土神は八幡宮,秋月種実の造立という。曹洞宗千手寺は,上臼井村永泉寺の末寺(続風土記付録)。幕末・維新期までに枝郷のうち長野村・川底村は再び当村のうちに含まれた。明治初期の人家は本村・代・正手・原・一町五反・平迫・竜石・古屋敷・長野・川底・大村にあり,戸数115・人口612(男327・女285),田77町余・畑19町余・山140町余,物産は葛粉・干柿,正租は米・大豆622石余,雑税は米・大豆18石余と金1円余,池6所,牛161,小学校が本村にあり,生徒数は男52・女8(地理全誌)。明治8年千手村の一部となる。現在の嘉穂町千手のうち。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7214081