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東福童村
【ひがしふくどうむら】


旧国名:筑後

(近世)江戸期~明治9年の村名。筑後国御原郡のうち。宝満川下流に位置する。はじめ柳川藩領(田中氏),元和6年からは久留米藩領。用丸(もちまる)組に属す。文禄4年,小早川秀俊の家臣草苅太郎左衛門尉が当村で276石余の知行を給与される(萩藩閥閲録34)。村高は,「元禄国絵図」349石余,「在方諸覚書」の古高460石余,「天保郷帳」372石余,「旧高旧領」724石余。文化4年の田43町余・畑11町余(農政農民史料集)。嘉永7年櫨実を用丸組総生産高4,986斤余中898斤を生産(豊田家諸日記)。天満宮・毘沙門・地蔵がある(寛延記)。明治9年福童村の一部となる。現在の小郡(おごおり)市福童の東部にあたる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7214130