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東吉富村
【ひがしよしとみむら】


(近代)明治22年~昭和17年の自治体名。はじめ上毛郡,明治29年からは築上郡に所属。山国川河口左岸の平坦地に位置し,北は周防(すおう)灘に面する。直江・土屋・広津・今吉・別府(びゆう)・幸子・楡生(にりよう)・鈴熊の8か村が合併して成立。旧村名を継承した8大字を編成。明治29年高浜村を合併し,小犬丸・小祝の2大字を加えて10大字となる。役場を広津横町に置き,大正14年現在地に移転。村名は南吉富・西吉富とともに鎌倉期から吉富名といわれていたことによる(吉富町誌)。明治24年の戸数477・人口2,727(男1,408・女1,319),厩129,寺院3,学校1,水車場3,船11(徴発物件)。古来深い関わりを持って来た大分県中津とは広津渡し・小犬丸渡しで結ばれていたが,明治29年広津に船橋を架橋。同36年両県の出資で木造の山国橋が完成,昭和9年鉄筋コンクリートの新山国橋に架けかえられた。昭和8年開通の旧国道3号が通るため国道橋とも呼ばれた。明治30年小倉~柳浦間に豊州鉄道(現日豊本線)が開通し村内を通る。大正元年電灯がつき,同12年には全村にゆきわたった。大正10年電話開通。明治30年吉富銀行創立,日露戦争後の不況で閉鎖,同39年吉富貯蓄銀行と改称して再出発した。明治33年吉富郵便局が小犬丸受付所として開局。主産物は米・麦だったが,都市近郊の地の利を生かし生鮮蔬菜の生産も行われた。大正7年築上東部農協吉富支部の前身である産業組合が発足。一方海岸の砂浜と遠浅を利用して明治前期より海苔の養殖が始まり,明治20年頃には吹出の浜に海苔生産組合が誕生。漁業従事者,海運業,船大工なども多かった。竹皮笠(ばっちょろがさ)の生産が行われ,また三倍傘と呼ばれる特許和傘が生産され,それぞれ海外にも輸出された。明治30年の戸数715・人口4,540,世帯数・人口は大正9年890・4,655,昭和10年1,030・5,131。昭和17年町制施行して吉富町となり,村制時の10大字は同町の大字に継承。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7214166