100辞書・辞典一括検索

JLogos

33

福岡県
【ふくおかけん】


(近代)明治4年7月14日~同9年4月18日の県名。廃藩置県によって,旧福岡藩領をもって成立。成立時の高・町村数は55万1,838石余・4か町740か村(旧高旧領)。これより先7月2日,太政官札贋造事件によって藩知事黒田長知が罷免され,有栖川宮熾仁が藩知事に任命されており,福岡藩の廃藩置県は,全国的実施以前に実質的に実施されていたといえよう。明治4年11月14日,旧秋月県,および怡土郡中の旧中津県・伊万里県の管轄地を合併した。合併地域の高・町村数は,旧秋月県域が5万2,332石余・71か村,旧中津県管轄地が1万8,035石余・1町31か村,旧伊万里県管轄地が1万1,228石余・14か村で,福岡県は高63万3,434石余・861町村となった(旧高旧領)。同5年福岡県は管内を34区に分画したが,同6年2月,福岡・博多市街は250戸,郡村は3,000石程度をもって1小区とする基準によって,16大区279小区に編成した。同7年7月段階で,郡数は15,町村数は135町856か村,大区小区は16大区305小区(県史稿)。(近代)明治9年4月18日~現在の県名。福岡県と小倉県が合併して成立。旧福岡県域に加えて新たに豊前国8郡を管轄下においた。さらに8月21日,三潴県の廃止にともなって筑後国10郡を合併するとともに,豊前国のうち旧中津県管轄の下毛郡・宇佐郡を大分県に割譲した。同時に旧3県域の大区小区制を調整し,旧福岡県域を16大区305小区から9大区58小区に,旧小倉県域を6大区57小区から6大区31小区に,旧三潴県域を14大区58小区から6調所・58扱所に再編成した。この体制は実質的には旧3県の大区小区制を継承したものであった。同10年8月全県下が19大区に統一された。同11年8月,県はいわゆる地方三新法を県内に布達し,郡区町村編制法に基づいて1区31郡とした。区は福岡区であり,1区役所・18郡役所を置いた。町村は,従来の275か町1,786か村を財政能力の面から数か町村を合せて1戸長管轄区域に編成し,867人の戸長を公選によっておいた(県史資料1)。同14年1月,県は郡役所の管轄区域を再編して13郡役所体制にしたが,廃止区域住民の希望によって11月に旧に復した。同22年4月1日,福岡区および御井郡両替町ほか28か町への市制施行によって,福岡市・久留米市が成立。町村制の施行に伴う大規模な町村合併の実施によって,町村数は,明治21年12月末の273か町1,685か村が,同22年12月末には23か町361か村に減少した(市町村合併史)。同29年4月1日郡の統合を実施し,筑前地域は15郡から9郡に,筑後地域は10郡から6郡に,豊前地域は6郡から4郡の合わせて19郡となり,それぞれ郡役所を置いた。市町村数は,明治31年12月末が2市383町村,同44年12月末が4市347町村,大正7年12月末が7市337町村。昭和28年9月の町村合併促進法,同31年6月の新市町村建設促進法に基づいて,県は市町村合併を促進し,自治体数は,昭和28年9月末現在の12市68町182村から,同34年4月1日現在で20市72町22村となった。同38年2月,門司・小倉・若松・八幡・戸畑の5市が合併して北九州市となり,政令指定都市に指定され,門司・小倉・若松・八幡・戸畑の5区を編成。福岡市も同47年県下第2の政令指定都市となり,博多・中央・東・南・西の5区を編成。同49年北九州市小倉区が小倉北区・小倉南区に,八幡区が八幡東区・八幡西区に分区。同57年福岡市西区が分区して西・城南・早良(さわら)の3区となる。昭和63年22市67町8か村を編成。平成4年前原町,同9年古賀町が市制施行。平成13年現在24市65町8か村をかぞえる。明治17年の戸数21万7,903・人口113万8,394(県史資料2),世帯数・人口は,大正9年43万9,715・218万8,249,昭和25年71万5,073・353万169,同60年152万2,528・471万9,259。平成12年192万2,863・496万7,686。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7214342