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節原村
【ふしはらむら】


(近代)明治22年~大正12年の自治体名。はじめ御井郡,明治29年からは三井郡に所属。筑後川流域に位置し,北部は宝満川に囲まれる。小森野村と合川村の一部および字南薫などを除く櫛原村が合併して成立。旧村名を継承した3大字を編成。役場を櫛原に設置。村名は「和名抄」節原(くしはら)郷が当地に比定されることから節原を採用,ただし訓は「ふしはら」とした。合併時の戸数488・人口2,870,地積は田99町・畑206町など計390町。明治24年の戸数468・人口3,001(男1,488・女1,513),厩145,学校3,船17(徴発物件)。主要農産物の価格は蔬菜・米・麦・粟・菜種・藍の順であった(節原村是)。水利に乏しく,明治34年小森野が筑後川から蒸気動力ポンプで揚水をはじめ,大正3年に櫛原で実施。明治31年筑後川小森野放水路が開削された。明治25年節原小学創立,櫛原・小森野に分校をおき,同44年節原尋常高等小学校となる。大正12年久留米市の一部となり,村制時の3大字は同市の大字に継承。なお,当時の戸数591・人口3,269,田195町・畑86町・宅地74町などであった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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