100辞書・辞典一括検索

JLogos

11

武蔵寺
【ぶぞうじ】


筑紫野市武蔵(むさし)にある寺。天台宗。椿花山成就院と号す。本尊は薬師如来。開創時期は必ずしも明らかでないが,これに関連しては「上宮聖徳法王帝説」の裏書が注目される。同書には白雉5年の孝徳天皇の不予に際し筑紫大宰帥(この官職名そのものは追記であろう)の蘇我日向(そがのひむか)が般若寺を建立したと見え,日向の無邪志(むさし)という字(あざな)が地名の武蔵に音通することから,般若寺を武蔵寺の前身とみなし,現在地にあった彼の私宅を寺にしたのではないかと考える説がある。この説への支持は少なくないが,近くの筑紫野市塔原に所在する国史跡の塔原塔跡を般若寺の遺跡に比定する見解もかなり支持されており,いまだ検討を要する点が多い。一方,寺伝によれば,当寺は7世紀後半の天智朝に在地豪族の藤原登羅麿(虎丸長者)が七堂伽藍を造立し,椿の木で薬師如来を彫って安置したことに始まるという。当寺の名は,「梁塵秘抄」や「宇治拾遺物語」などにも見られ,また,近くにはかつての伽藍との関係が想定される大門という地名もあり,当時は大寺としてかなり広く知られていたのであろう。この地は天拝山の東山麓にあたり,昭和40年以降,数次にわたって境内の発掘調査が実施された。その結果,10基の経塚が確認され,武蔵寺経塚と総称されている。出土した経筒の中には,すぐれた装飾を施されたものとともに,「武蔵寺」の刻銘や「大治元年」の針書紀年銘を有するものなどが含まれ,経塚が主として12世紀代に造営されたものであることを示している。ここの東北方約8kmに位置する宝満山は,古代から近世にかけての修験道の一大修法場であり,経塚にも見られるように,当寺はそれとも関係があったと考えられている。このほか,境内には貞和3年銘の板碑や正平2年銘の石塔などが見られ,中世にもかなりの信仰を集めていたことがうかがわれる。建武の兵乱により焼亡し,その後再興されたが,天正年間島津氏が高橋紹運を四王寺に攻めた時,再び炎上した。慶長年間に黒田氏が寺領を寄進。現在の境内(県史跡)は天拝山の自然を背景に藤の名所としても知られ,またかつては次田(すきた)の湯と呼ばれた二日市温泉街に近く,四季を通じ参拝者が多い。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7214441