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宝満山
【ほうまんざん】


筑紫野市・太宰府市,粕屋郡宇美町にまたがる山。標高868.7m。三郡山地の1峰で,太宰府県立自然公園に属し,一部は第一種特別地域に指定される。稜線は東北方に高度を増し,仏頂山・三郡山・頭巾山・砥石山・若杉山と連なり,南は大根地山を経て古処山・馬見山,さらに英彦山に続く。西側から見る山容は円錐形で美しく,古くは,御笠郡の中央の山として御笠山とも呼ばれた。中腹からは露岩が多く,山頂は花崗岩が残丘状に露頭して急峻。天智天皇3年,大宰府の北東の鬼門守護の山として八百万の神が祀られたとされ,延喜3年,山頂の上宮の神を遷して玉依姫・八幡神・神功皇后を祀る式内社,竈門神社が創建され,竈門山とも呼ばれた。古代の繁栄は奈良三彩・皇朝銭など多くの出土品から裏付けられる。この神の勧請による神社は県下で40余社。上宮のほか中腹の中宮から下宮のある山麓の内山(有智山)一帯には修験道の宿坊跡が残る。この山の神仏習合の歴史は1,000年以上にわたり,入峰行は鎌倉末期に始まり,英彦山を胎蔵界,宝満を金剛界とし,その間の峰々を結んで曼荼羅を構成するコースが確立したのは室町中期とされる。盛時には衆坊300,行者坊70といい,求菩提山とともに修験の山として知られたが,中世の戦乱により,中世末には坊中組織も一変し古来の座主坊も消滅したという。近世に入って再興,かつての勢力は失ったものの宗教的権威は持ち続けたが,明治初期の神仏分離令により徹底的に破壊され,山伏も追われ,仏教色は消滅している。内山には,このほか鎌倉期末から南北朝期に大宰少弐貞経のこもった有智山城跡をはじめ,伝説に富む多くの遺跡や史跡がある。山頂からは眼下に太宰府市,福岡・筑後両平野が広がり,好天には壱岐島も眺望できる。交通も便利で,県下で数少ないロッククライミングの練習場もあり,太宰府天満宮が登山口という好条件もあって,福岡市その他からの登山者でにぎわう。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7214577