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馬寄村
【まいそうむら】


旧国名:豊前

(近世)江戸期~明治20年の村名。豊前国企救(きく)郡のうち。企救半島中部,戸上山の南西麓に位置する。地名は,神功皇后が軍馬を当地で寄せ集めたとの伝承により真磯・馬磯とも書いた(企救郡誌・古城伝)。小倉藩領。富野手永に属す。村高は,「正保国絵図」380石余,「元禄国絵図」234石余,「天保郷帳」351石余,「旧高旧領」306石余。元和8年の家数54・人数139(男72・女67),牛15・馬3,ほかに当村内原町の家数20・人数49(男26・女23),牛6・馬1(人畜改帳)。正保~元禄年間に原町村を分村。享保飢饉の餓死者は52人(開善寺過去帳)。明治10年の戸数75・人口343(馬寄村誌)。同20年柳ケ浦村の一部となる。なお,明治20年頃以後も当地付近は馬寄・上馬寄・下馬寄などと通称された。大正12年に門司鉄道局門司鉄道教習所などが設置されると国鉄アパートが建設され,国鉄の町といわれるようになり,また昭和38年の北九州市成立前後から,小倉北区に近いため住宅が激増し北九州市のベッドタウンとなった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7214667