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丸ケ口村
【まるがくちむら】


旧国名:豊前

(近世)江戸期~明治20年の村名。豊前国企救(きく)郡のうち。紫川中流右岸,貫山系北側の谷あいに位置する。福相寺城(丸ケ口城)の城跡がある。長野豊前守種盛一族をはじめ,天正年間には丸ケ口民部義舎が城主であったという(企救郡誌)。小倉藩領。城野手永に属す。村高は,「正保国絵図」50石余,「元禄国絵図」72石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに99石余。元和8年の家数25・人数69(人畜改帳)。享保飢饉の餓死者は8人(開善寺過去帳)。細川氏以前より領主の御茶屋があったが,元文4年からは7畝29歩の土地が茶屋屋敷筋という地名で百姓の屋敷・上々畠になった(郡典私志)。万延年間の竈数12・家数27・人数57(男29・女28),牛12・馬2,田6町余・畠1町余,物成59石余(企救郡各村覚書)。明治17年の戸数13・人口66。同20年横代村の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7214783