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三原城
【みはらじょう】


中世の平城。本郷城ともいう。三井郡大刀洗町本郷に所在。三原氏代々の居城である。三原氏は大蔵氏を祖とし,平安後期に大蔵種俊が当地に移り住み,三原氏を称したと「筑後将士軍談」は伝える。この城は,筑後川右岸に広がる平野と低丘陵地の接点近くに築かれ,東西110m,南北150m,ほぼ長方形の縄張りで,内濠・外濠の遺構が認められ,外濠は四方を巡り,それに沿って土塁が築かれている。天正年間の本郷城図には,郭内には,矢狭間・矢倉・倉庫・大手門・搦手門などが描かれている。外濠・内濠・土塁などの遺存状態が良好で,中世豪族の城郭を知る格好の例といえる。三原氏の動向は,南北朝期から諸史料によって明確になる。元弘3年には鎮西探題攻撃に加わり,建武3年の多々良浜の戦いでは南朝側,延文4年の大保原の戦いでは北朝側,貞治3年の長者原の戦いでは南朝側に属するなど帰趨定まらないが,戦国期には一貫して大友氏に属している(三原文書)。天文5年頃,三原和泉守は筑後守護代に任ぜられ,大友氏の有力な部将であった。天正14年,島津氏の筑前侵入に際し,高橋紹運とともに岩屋城に籠り,島津軍と戦い討死している。その際,三原城も廃城となった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7215029