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明官開
【みょうかんびらき】


旧国名:筑後

(近世)江戸期~明治9年の地名。筑後国山門(やまと)郡のうち。矢部川の支流塩塚川左岸の平野部に位置する。地名の由来は,当地の開拓者釈明観の名による。柳川藩領。垂見組に属す。石高は,「旧高旧領」181石余。明治5年の反別は18町1反余(郡郷/立花家文書)。当地の開拓者釈明観は蒲池鎮貞(柳川城主蒲池鎮漣の弟統安の子)の子で統継といい,出家して明観と号した。田島氏の祖先である。天正9年蒲池氏滅亡とともにこの地に籠居し,塩塚川左岸の本土居のよし野を開いて明官開と名づけた。明観は寛永20年に死去。明官開は寛永年間以前の干拓地であることはほぼ確実とみられる。しかし,「元禄国絵図」「元禄郷帳」「天保郷帳」には当地名が見えない。文化9年10月15日伊能忠敬が「鷹ノ尾村枝明官」を測量しており(測量日記),同年時点では明官開は鷹尾村の枝村であった。したがって「元禄国絵図」「天保郷帳」では明官開は鷹尾村の村高に含まれている。海童神社がある。明治9年明野村の一部となる。現在の大和町明野のうち。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7215109