妙楽寺
【みょうらくじ】

福岡市博多区御供所町にある寺。臨済宗大徳寺派。山号は石城山。寺伝によれば,正和5年月堂宗規が博多沖の浜に一宇を構え,貞和2年諸方檀越の合力により仏殿が造営されたというが(続風土記附録),元徳元年の大応国師像賛(明極楚俊)には既に当寺住持として月堂宗規の名が見える(石城遺宝拾遺)。当寺が博多の対外交渉上の一拠点であったことは「石城遺宝」などからもうかがいうるが,そのほか明徳4年当時には交通の要衝である壱岐国の薬師丸名を有しており(宗像神社文書/大日料7‐1),応永26年幕府から朝鮮へ派遣された外交使節は妙楽寺僧無涯亮倪であった事実などからもうかがわれる。また宝徳3年の遣明船一行は出発前に当寺に宿泊している(允澎入唐記)。文明10年頃は大内氏の保護下にあり,唯月東堂は大内政弘に進物を送っているが,同じ頃博多の雑人等による当寺破却の企てもみられた(正任記/博多史料2)。同年10月には九州探題渋川教直の子万寿が止宿している(同上)。天文7~8年博多に滞在していた策彦周良の下に妙楽寺和上が訪問している事実もある(策彦入明記)。往時の景観は「呑碧楼記」(太宰管内志)に詳しい。天正年間兵火にかかり焼失し,黒田長政の入国後現在地に移転。宝永4年黒田綱政が寺領30石を寄進した。行事は祈祷会(正月・5月・9月),開山忌(10月27日),地蔵講(毎月14日)など。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7215120 |