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虫生別符
【むしおべっぷ】


旧国名:豊前

(中世)平安末期~南北朝期に見える別符名。豊前国田川郡のうち。「宇佐大鏡」に「虫生稲光〈田数六十丁・同時定卅五丁〉」とあり,「仲虫生別符本者府領也」と見える。もとは大宰府領で,領主は貫首道信であった。道信は孫娘にその所領を譲ったが,その夫の傔仗早部貞恒が府役を対捍したため大宰大弐領となり,大宰府の別符をもって領掌。やがて永長2年9月20日宇佐宮領に寄進され,さらに康和年間宇佐宮馬場三昧堂建立の際,仏聖灯油䉼所として寄進されたという。その際の康和3年10月3日付大宰府政所牒写が残されているが,そこには「豊前国田河郡虫生浦」と見える(平遺1454),建久の「豊前国図田帳写」には宇佐宮領として「虫生稲光⊏⊐(七十丁カ)」と見える(永弘文書/鎌遺925)。その後,建武4年12月17日の足利直義下文写に「(住吉社)社務任料免等,豊前国虫生別符一方地頭職」とあり,筑前住吉神主佐伯政忠に安堵されている(住吉神社文書/大日料6-4)。この下文には,承久4年・元亨2年の下文に任せてと見え,早くから地頭の置かれていたことが知られる。下って戦国期の永正17年8月20日,田原親逑が西某に「田川郡虫生三村(之村カ)之内拾五石」を預けており(児玉韞採集西氏所蔵文書/大友史料15),年欠(永禄9年か)9月23日付の斎藤鎮実所領坪付注文案には「〈田河虫生之内同村〉一所五拾町」と見える(大友家文書録/同前22)。江戸期の真崎村は古く虫生村と称したというが,中世虫生別符はもう少し広い範囲であったかもしれない。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7215142