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紫川
【むらさきがわ】


北九州市の小倉南区から小倉北区へ流れる2級河川。古くは規矩(きく)川といった。流長19.8km,流域面積101.4km(^2)。小倉南区頂吉の福智山山腹に源を発し,ほぼ北流して小倉北区の浅野3丁目・許斐町の境界で響灘に注ぐ。川名は,上流の平尾台を古くは紫の生野と呼び,友禅を染めるムラサキ草が自生していたことにちなむとする説,夕暮れ時に足立山が紫色に染まって川面に映えることによるとする説,慶長の頃,小倉城主細川忠興が,かつて居城の丹後の宮津城近くを流れていた紫川の名をそのまま付けたという説がある。さらに,漁師エビスと恋人の娘にまつわる伝説も残る。漁に出る恋人エビスを心配する娘が毎日藍染めの木の実を規矩川に流すので,川が紫色に染まっている間は,上首尾を祈っていると思って下さいと励ました。エビスは響灘の海で一生懸命漁をしたが,ある日,荒れる海に出たまま帰らなかった。それを知らない娘は藍染めの木の実を流し続け,規矩川を紫川と呼ぶようになったという。最上流の呼野から下流に向かって断続的に段丘が分布し,最も広い所が宅地開発の進む長行(おさゆき)付近。いずれも石灰(火山噴出物)を基盤とし,現河床との比高は約10m。この地域の段丘は,新道寺・市ケ原などのように分水界に位置しているものが多く,過去に河川争奪があったことを示す。源流部には,北九州市の水がめ鱒淵ダムがあり,井手浦浄水場を通じて門司区・小倉南区の全域と小倉北区・八幡東区の一部に給水する。中流域は穀倉地帯であったが,近年急速に都市化が進み,徳力・北方地区にかけての洪積台地は宅地化が著しい。河口付近には,発達したデルタ上に北九州市のCBD(中央業務地区)が形成され,江戸期には九州の玄関口として,本州と結ぶ海上交通の要衝であった。明治期以降,相次ぐ埋立てにより臨海部の工場化が進んだ。高度経済成長期以後の紫川は,工場排水や生活排水などで水質汚染が著しく,汚染源対策として工場排水の排水基準の設定や,下水道の普及など,安全基準に基づく指導が実施されている。その結果,現在オイカワ・カワムツ・アブラバヤなど23種の淡水魚が生息するようになった。紫川沿いは明瞭な小倉田川構造線にあたり,その谷に沿って日田彦山線・国道322号が北九州と筑豊を結ぶ。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7215171