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柳坂組
【やなぎさかぐみ】


旧国名:筑後

(近世)江戸期の組名。久留米藩領における広域行政区画である大庄屋組の1つ。筑後国山本郡のうち。当組に所属する村は,文化4年には放光寺・高椋(たかむく)・下野・柳坂・宮園・西泉・中泉・東泉・浅井・山本・庄・吉木・矢作(やはぎ)・夫婦木(みようとぎ)・草野町・今山・小山田・紅桃林(ことばやし)・竜泉寺・蜷川(にながわ)・差出・石浦・常持・勿体島・飯田・与田・木塚・津遊・古北・高畑の30か村(農政農民史料集)。宝暦年間頃の「在方諸覚書」によれば,所属村は29か村・1町,古高1万1,530石余・役高1万2,997石余。文化4年の石高(内検高)は本地1万5,887石余・開方632石余,反別は本地1,050町余(うち田594町余・畑田88町余・畑353町余・居屋敷15町余),この物成5,803石余,開方85町余(うち田6町余・畑田1町余・畑78町余),この物成148石余(農政農民史料集)。宝暦7年の竈数1,457(御旧制調書/久留米市史)。大庄屋は,寛永19年に柳坂村太兵衛(上野氏),元禄8年も同じ(家勤記得集/同前),享保年間,行徳氏の石浦組となる。元文年間以降再び上野氏(在方諸覚書)。文化年間も上野氏だが,天保3年に吉富氏に交代(矢賀部家文書/久留米市史)。同年以後泉組と改称。現在の久留米市の一部にあたる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7215382