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山中村
【やまなかむら】


旧国名:筑後

(近世)江戸期~明治9年の村名。筑後国下妻郡のうち。筑肥山地の一部を形成する清水連山(東山という)が矢部川中流域に臨むその北端の山間部から狭い平地に位置する。地内には山中古墳群があり,14基の横穴式古墳が確認されている。柳川藩領。本郷組に属す。村高は,「元禄国絵図」57石余,「天保郷帳」84石余,「旧高旧領」170石余。明治5年の反別は12町1反余(郡郷/立花家文書)。矢部川の広瀬堰の創設年代は不明だが,延宝年間には既に存在しており(久留米領柳川領御境川井手数覚),堰長85間,据枠空石張で,取り入れられた用水は丹花堰で東部山麓地域と小田・長田方面とに分水される。灌漑面積1,409町余。ただし,当村の用水はこの広瀬水路から取水できず,白木川の山中井手より水路を設け,途中若宮神社の下に切通しと称する約200mの地下水路を掘って水を引き,不足分は堤谷溜池にたよる。この地下用水路は沖裕作が安政6年に完成(瀬高町誌)。小田村の唐尾とともに良質の紙を生産した(柳河・三池両藩旧租要略)。村内では俳諧が盛んであったらしく,若宮神社に天保15年の奉掲俳諧句集(70句)があり,村内にも文久年間の句会集が残っている。字八割に維新の志士淵上郁太郎祐広殉難之地の碑がある。村社は天満神社,ほかに若宮神社があり,その崖下矢部川の中央に大岩が群をなすが,江戸前期の古地図に「えぼし岩」とあるという(瀬高町誌)。字川端に観音堂,字八割に石地蔵仏がある。明治9年広瀬村の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7215489