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吉兼村
【よしかねむら】


旧国名:豊前

(近世)江戸期~明治20年の村名。豊前国企救(きく)郡のうち。紫川中流左岸に位置する。地名の由来は,かつて山の陰で黄金を掘っていたという言い伝えによるという(企救郡誌)。小倉藩領。小森手永に属す。村高は,「人畜改帳」「正保国絵図」には見えず,「元禄国絵図」では吉金村と見え100石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに137石余。享保飢饉の餓死者は18人(開善寺過去帳)。当村の百姓吉兵衛の親孝行に対して,寛延2年褒賞米15俵が与えられ,同3年には藩主廻郡に際しさらに金子200疋が授けられた。大庄屋中村平左衛門は,文政5年に孝子吉兵衛について「索綯(なわない)口説」を創作し,農家の子弟の教育のために謡わせたという(中村平左衛門日記)。万延年間の竈数21・家数43・人数81(男37・女44),牛12・馬5,田10町余・畠2町余,物成50石余(企救郡各村覚書)。慶長9年創立の古稲荷神社と妙見社がある。明治17年の戸数22・人口102。同20年徳吉村の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7215590