100辞書・辞典一括検索

JLogos

13

力常村
【りきつねむら】


旧国名:筑後

(近世)江戸期~明治9年の村名。筑後国竹野郡のうち。耳納(みのう)山地中央部の北方,筑後川中流左岸の微高地上に位置する。地内に弥生遺跡がある。はじめ柳川藩領(田中氏),元和6年からは久留米藩領。諏訪組に属す。村高は,「元禄国絵図」107石余,「在方諸覚書」の古高160石,「天保郷帳」126石余,「旧高旧領」204石余。宝暦年間頃の役高は214石,久留米より5里(在方諸覚書)。寛政元年撫5斗1升,人数88,馬9(筑後上三郡取調手鑑)。嘉永元年頃の作柄は,「田方凡そ7俵,粟6俵」(廻村書留)。文化4年の耕地は田13町余・畑田2町余・畑2町余(農政農民史料集)。水利は大石・長野水道。天保3年の亀王組一揆では庄屋宅が打ち崩され,1名が三郡追放の処罰をうけた(久留米藩百姓一揆ニ関スル調査)。氏神天満宮,阿弥陀堂,伽藍石仏2,さやの神,成長大明神(松)がある(寛延記)。明治9年村内のうち石王名を野田村に編入し,残りは常盤村の一部となる。現在の田主丸町常盤・野田の各一部にあたる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7215669