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荒穂神社
【あらほじんじゃ】


三養基(みやき)郡基山(きやま)町大字宮浦(みやうら)にある神社。延喜式内社。旧県社。祭神は瓊々杵(ににぎ)尊・五十猛(いそたける)命,他5神。社伝によれば,大化元年に肥陽国造金連後裔金村臣によって基山(きざん)山頂に創祀されたといい,対馬万松院文書の神社書上(基山町史)によれば大化元年の創立で「基養父惣社」であるとしている。また,往古瓊々杵尊が当山に登り国見をしたと伝え,後に五十猛命を配祀して「霊々石」を神体として祀ったが,天智天皇が基肄(きい)城を築いたのに伴い同城鎮護の神とされたという。古くは神官・社僧数百人を擁し勅使の下向もあったが,天禄年間に兵火にかかり社殿が炎上,保元年間に至り社殿を再興したという。「三代実録」貞観2年2月8日条に従五位上の荒穂天神に正五位下を授くと見え,延喜式には肥前国式内社四社のうちの1つにあげられている。正応5年8月16日の河上宮造営用途支配惣田数注文(河上神社文書/佐史集成1)には「荒保社十九丁五反」とある。その後天文年間に大友氏に攻められて社殿は焼失,神官・社僧も多くは死亡・逃散したが,天正年間には麻生上総介慶鉄によって再興したと伝える(県災異誌)。現在地に移ったのはこの頃ともいう。慶長4年に宗義智は米6石を加増,延宝3年には田代の代官仁位成之・賀島兵介・橘三吉が祭礼に参列するなど宗家の崇敬が幕末まで続いたと伝える。当社の祭礼は秋分の日に行われる神幸祭で,本殿では獅子舞・災払い・鉦浮立が奉納され,また前夜祭には宮座の古風をとどめる柴垣の座が12人の神職によって行われる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7215873