有田皿山
【ありたさらやま】

旧国名:肥前
皿山ともいう。蓮花石山と黒髪山に南北を挟まれた東西約4kmの谷間に位置し,有田川の支流白川が北から西に弧状を描いて流れる。豊臣秀吉の朝鮮侵略の際に鍋島直茂が朝鮮から連行した陶工の1人李参平(初代金ケ江三兵衛)が地内泉山で良質な白磁鉱を発見し,地内白川天狗谷に築窯したのが有田陶磁器生産の始まりとされている。「西松浦郡誌」では「泉山発見の当初迄は今の岩谷川内付近以西は田中村と称して僅に開け,其以東は深山幽谷にして大神宮山の西麓に平戸より杵島方面に通ずる一小径ありしのみなりしが,一たび泉山の無尽蔵発見以来同地より一直線に南川原に至る道路開通され,此地もと唐船城主有田氏の所領」とある。
【有田皿山(近世)】 江戸期の広域地名。
【有田皿山(近代)】 明治初期~明治22年の村名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7215890 |





