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医王寺村
【いおうじむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。杵島(きしま)郡のうち。伊王寺とも書く。杵島山北麓,六角川と武雄(たけお)川の合流点東部に位置する。佐賀本藩領。橋寄下西郷に属す。村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」ともに408石余,「天保郷帳」では569石余,「旧高旧領」には見えない。「宝暦郷村帳」では小村に七田村・折尾村があり,「天明郷村帳」では椛島(かばしま)村の小村として見える。近世を通して多久氏の知行地であった(多久市史)。給人・地米高は,「玄梁院様配分帳」では多久伊豆298石余,「大小配分石高帳」では多久長門297石余。平安末期,承安2年の「歓喜寺薬師如来像後背造像銘文」に「長嶋庄 医王寺 藤原宗明并藤原氏 橘宗友 并平氏」とあり,村名の由来も医王寺の寺名に求められるが寺跡は不明。鎮守は熊野神社,寺院には真宗常行寺・曹洞宗歓喜寺がある。「明治7年取調帳」「郷村区別帳」ともに芦原村の枝村に見える。「明治11年戸口帳」によれば芦原村のうちに「医王寺村」と見え,戸数79・人口366。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7215911