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厳原県
【いずはらけん】


(近代)明治4年7月14日~同年9月4日の県名。廃藩置県により旧藩名をもって成立。対馬国下県郡府中(現長崎県下県郡厳原町)に所在の旧藩庁を改めて県庁とする。現佐賀県に属する地域で当県の管轄下にあったのは対馬藩田代領・対馬藩浜崎領と長崎府管理地であった大川野・千束地域である。対馬藩田代領は現鳥栖(とす)市東半域と三養基(みやき)郡基山(きやま)町一帯。基肄(きい)郡21か村・高8,556石余,養父(やぶ)郡10か村・高4,280石余の計31か村・高1万2,837石,畝数1,487町余。明治4年当時の人口は男1万1,315人・女9,231人の計2万546人(基山町史)。対馬藩浜崎領は現東松浦郡浜玉(はまたま)町一帯。万松院文庫史料によれば,松浦郡11か村・田畑高9,159石余(田高7,739石余・畑1,048石余),物成高3,442石余(米3,490石余・銀1貫404匁余)。明治2年の肥前国松浦郡村々人高書上帳には竈数905軒,人数4,510(男2325・女2185)とある。明治初年の長崎府管轄下の旧幕府領44か村は,現在の伊万里(いまり)市大川野地区,東松浦郡相知(おうち)町南半,同郡厳木(きゆうらぎ)町全域,同郡七山(ななやま)村の大半の地域である。高1万石,草高1万6,925石。明治5年7月の官省進達の高反別現石惣計帳によれば,当県域の高4万4,152石余,反別3,324町余,現石1万8,159石余,現大豆685石余とある。明治4年9月4日旧佐賀本藩領からなる佐賀県と合併して伊万里県となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7215953