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井手川内村
【いでがわちむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。藤津郡のうち。井手河原村ともいう(天明村々目録・肥前国郡村仮名付帳写)。嬉野(うれしの)盆地の東部,塩田(しおた)川右岸に位置し,わずかな平地と背後の山地からなる。佐賀本藩領と蓮池(はすのいけ)藩領。嬉野郷に属す。村高は「元禄国絵図」「天明村々目録」ともに279石余,「天保郷帳」では313石余。「旧高旧領」では佐賀藩領として149石余とある。「玄梁院様配分帳」「大小配分石高帳」ではともに蓮池藩領の地米高は137石余。塩田川沿いの最西部地域は小町場をなす。地内の的場(まとば)は藩の弓術場であったことにちなむ。的場裏手の塩田川の淵を満珠淵というが,「氏神豊玉姫を勧請して後邪神この地を寇するや,女神右手の満珠を流れに投じ給えば水は村内に横溢し,邪神悉く溺る。左手の干珠を投じ給へば水減退せり。これによって地名起れり」という(嬉野吉田郷土誌)。この付近の川岸に温泉が湧出し,そばに縄文遺跡がある。古代人も温泉を利用していたことを推測させるが,江戸期には家庭の雑用に使われていた。天明元年~4年の本支藩の境界紛争の結果,石の境界標識(番号石)を152個設置。その際の家数は本藩領19・蓮池藩領53(泰国院様御年譜地取)。用水は塩田川の井堰から取水したが,旱魃の時は塩田川対岸の下宿村と紛争を起こし,寛政12年には庄屋・誓紙が処罰された。時の庄屋は市兵衛。産物は米麦のほかに茶。寺院は浄土真宗東岳山明覚寺があり,天文2年釈慶が開基したという。民俗芸能に鐘浮立があり,8月31日の風日(かざび)に下野村丹生神社に奉納される。「明治7年取調帳」では下野村の枝村として見える。「明治11年戸口帳」によれば,下野村のうちに井手川内村と見え,戸数109・人口484。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7215985