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嬉野
【うれしの】


旧国名:肥前

宇礼志野とも書く(肥前旧事,越後入道宗佐伝)。塩田(しおた)川の上流に位置し,西は虚空蔵(こくぞう)岳,東は唐泉山,南は国見岳の山々に囲まれた盆地地帯。宇礼志野の地名の初見は,弘安4年の蒙古合戦勲功賞に記載されたもので,嬉野となったのはそれ以後と思われる。嬉野温泉碑に「往古神功之自朝鮮凱旋也,浴此而疾愈,因呼日嬉,故名焉」とあるように地名の起源を神功伝説に結びつけるのが一般的である。しかし「高祖大師渡唐の後日域をまわり,霊山を開き諸仏諸場安置の時此の山岳に廻り来り,巌崛を見給うに悪魔悪獣住めり。これに因て岩山に吾が姿を残し置き,定めて人邑と成る可き旨案念し,則ち松に腰を休め,自らの形を自作あつて石室に納め,ああ嬉野と歓喜あり。故に世人伝う,嬉野と唱う」(大定寺日記),「日向に至り豊玉姫の御神を勧請し給うとなり。而して神慮此の地に降臨ましまし……山川兼美の地なり,嬉しや此処に鎮座あるべしとの神勅なり。老翁もあな嬉しやと宣う。その時仮に鎮座し給う松が枝の下を始めて嬉野と言うなり」(豊玉姫神社の社伝)とも伝える。古代の官道がこの地を縦断していたと言われるが,通路ははっきりしない。地内には出土した石錐・石斧・石匙・石鎗の一部が保存されている。「肥前国嬉野石器時代遺跡」に,「本遺跡地に接して湧出する温泉は恐らく石器時代からあったであろう。湧出する温泉のあるがために,此の地に特に居住せしものと解する方が適当であろう」とある。
宇礼志野(中世)】 南北朝期に見える地名。
嬉野村(近世)】 江戸期の村名。
嬉野町(近代)】 昭和4年~現在の藤津郡の自治体名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7216133