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江津ケ里村
【えづがりむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。小城(おぎ)郡のうち。牛津江川(勝川)の西岸に位置する。小城藩領。東郷に属するが,幕末には西郷と合併して西郷に属す。「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」ともに1村として見えるが,国絵図や「天明村々目録」「天保郷帳」には村名は見えない。文化11年の小城郡里郷之図によると「江津刈」と記し,集落は勝川の西方にあり,25町7反8畝,203石7斗1升1合と付記し,壱ノ井樋筋掛の村である。勝川に円長寺井樋があるが,大戸ケ里の円長寺第9代住職の祖慶によって寛政年間頃築造されたもの。天保6年の小城郡里四郷絵図には20戸,104人の紙片を貼付している。江戸後期の小城郡西郷図によると,典型的環濠集落で西方の大戸ケ里と隣接する。東北に天満宮,東南に天神がある。「郷村区別帳」ではともに船田刈の枝村として見える。「明治11年戸口帳」によれば,勝ケ里のうちに「江津ケ里」と見え,戸数20・人口83。なお,「小城郡村誌」によれば,明治4年江津ケ里・勝ケ里・満江村・大戸ケ里・高柳ケ里の5か村が合併して勝ケ里となったという。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7216165