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円通寺
【えんつうじ】


小城(おぎ)郡小城町大字松尾(まつお)字三間寺にある寺。臨済宗南禅寺派。正式には三間山円通興国禅寺と称する。本尊は千手千眼観音。寺伝によれば白雉元年筑後国三箇村の郡司三池氏により創建。当時は三箇寺と称し,天台宗の寺院であった。のち三間寺と寺名を改め,鎌倉期に入り来朝禅僧蘭渓道隆の法嗣である若訥宏弁が,弘安元年この寺を禅宗寺院に改め円通寺と号した(延宝伝灯録,鎮西要略)。当寺所蔵の古文書に,弘長2年蘭渓が若訥にあてた書状,弘安6年平朝臣(千葉宗胤カ)寺領寄進状があり,これらの記録には宛名の中に「三間寺」の寺名がみえることから,創建時には三間寺・円通寺の両寺号が併用されていたと考えられる。創建時には,有力豪族千葉宗胤が堂宇の造営などの保護を加え,以後代々千葉氏の菩提寺となった。貞和6年,7世住持無方和尚の時に,光厳上皇より三間名山円通三興国禅寺の名を賜り,京都南禅寺・鎌倉建長寺とともに日本三興国禅寺の1つとなる。近世期に入ると鍋島家より肥前一円の南禅寺末寺院を統率する法頭寺院にあてられ,30有余の塔頭と100余の末寺を擁し,38石7斗余の寺領を佐賀藩より与えられた。しかし天保12年火災に遭い(県災異誌),また三興国寺禅中の1か寺となってから毎年勅使を迎えるために建てられた勅使門も暴風雨で倒壊し,現在ではその礎石のみ残存。寺域も明治維新の排仏毀釈によって現在の規模に縮小したが,境内西北部には千葉氏の墓石が残る。寺宝としては,持国天像・多聞天像の2体が県重文に指定され,鎌倉・南北朝期を中心とした古文書13通は円通寺文書として佐賀県史料集成5巻に収録。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7216184