相賀
【おうか】
旧国名:肥前
東松浦半島の相賀崎丘陵と上場台地との間の平坦部に位置し,唐津(からつ)湾の西海岸に面する。「松浦古事記」には,「三韓を随へ帰朝の時も和珥津より上らせらるるに,神集島を見渡し玉ひ天神地祇を拝して士卒に至るまで勝軍を相賀せよと宣ひしにより,其所をあうかと名付けり」という神功皇后伝説にちなむ地名伝承を記す。相賀松原の西麓尾根突端部に鉄剣・直刀・鉄鏃などを出土した6世紀前半の横穴古墳があったが,削りとられて現存しない。なお,古代の駅家,逢鹿駅は当地に比定される。
【相賀村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【相賀(近代)】 明治22年~現在の大字名。
| KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7216187 |