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大石村
【おおいしむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。神埼(かんざき)郡のうち。筑後川の支流城原(じようばる)川の西岸に位置する。蓮池(はすのいけ)藩領。ただし,「玄梁院様配分帳」では蓮池藩領の地米高225石余のみだが,「大小配分石高帳」では蓮池藩領地米高225石余のほか岡部杢之助が地米高44石余,江副平八が地米高12石余を知行する。嘉崎郷に属す。村高は「正保国絵図」では447石余。「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」では小村に新宿がある。明和2年当村は凶作にもかかわらず貢租を皆納したことにより,蓮池藩主鍋島直寛より当年貢租のうち地米5勺を与えられ賞される(蓮池日史略)。寛政5年には上直鳥村・嘉納村・乙南里村・小津ケ里の農民とともに,連年の洪水による耕作の無力のため,耕地100町余の返納を申し出ている。文政7年には上直鳥村と水論が起こり,佐賀本藩と蓮池藩との談判により解決した(蓮池日史略)。明治3年櫨実42斤が神埼町の蝋屋原岡兵蔵へ売られている(蝋屋兵蔵記)。新宿は長崎街道沿いに立地し,神埼宿と境原宿の間の宿として設けられた。尾張商人菱屋平七の「筑紫紀行」,大田南畝の「小春紀行」,伊能忠敬の「測量日記」などに簑の名産地として見える。新宿の家数は10軒余で,神埼宿へ5町,境原宿西方の佐賀郡境まで24町の里程であった(筑紫紀行)。天保7年蓮池藩は,文政11年の風災によって倒壊した家屋を修繕できずにいた新宿の11名に長崎街道沿いに奉行が往来することを考慮して修繕の金子を与えた(蓮池日史略)。神社は菅原道真を祀る天満神社が西大石にある。寺院は,東大石に享保11年実松右近太夫信恒開基の曹洞宗実松山光円寺がある。ほかに佐賀郡玉林寺の末寺で曹洞宗の珍香庵・禅喜庵・神通庵・大泉庵・吉祥庵・石塔院・地蔵院があったが,天明8年以前に廃寺となった。「明治7年取調帳」では黒井村の枝村として見えるが,当村内の新宿は姉村の枝村となっている。「郷村区別帳」では姉村と黒井村のそれぞれの枝村として見える。「明治11年戸口帳」によれば黒井村のうちに「大石村」と見え,戸数14・人口83,また姉村のうちにも「大石村」と見え,戸数13・人口64。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7216202