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大依村
【おおよりむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。神埼(かんざき)郡のうち。田手川右岸の平野部に位置し長崎街道に沿う。佐賀本藩領。中郷に属す。給人・地米高は「玄梁院様配分帳」では石川杢右衛門113石余・生野市之助10石余,「大小配分石高帳」では石川伝右衛門67石余・石川寛三衛門45石余で,ほか6名の知行地。村高は「正保国絵図」「天明村々目録」では682石余,「天保郷帳」では693石余。「旧高旧領」には見えず。天保期の戸数7(御祓配帳)。「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」には小村に地蔵町の名が見える。神社に天満宮があり俗に大依天神という。同宮は文禄の役の際,朝鮮で風浪はなはだしい折,鍋島直茂の家人牟田茂済が菅公に祈願して治め,帰朝ののち牟田氏の住居地に勧請したと伝える(神埼郡郷土誌)。当村の小村の地蔵町は長崎街道に沿う集落で,元禄2年町立てされた(神埼百田旧記)。同町は神埼宿を形成する。町名は築山の頂にある俗称いぼ地蔵尊によると思われる。ひ(緋)の柱壱里山は,基山北端の筑前・筑後・肥前境の三国峠を基点に1里ごとにもうけた一里塚で,5間四方の築土にエノキやマツを植えたものである(御国中所々道法帳/神埼町の文化財)。この緋の柱の地名は,往時櫛田宮の赤木の鳥居があったことによるという(肥前古跡縁起)。「明治7年取調帳」「郷村区別帳」とも田道刈の枝村として見える。「明治11年戸口帳」には田道ケ里のうちに「大依村」と見え,戸数12・人口47。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7216311