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乙板舂里
【おついたつきり】


旧国名:肥前

(古代)条里の里名。正応2年3月12日付蒙古合戦勲功賞配分状に「倉戸郷 乙板舂里 一坪一町 二坪九反 三坪六反 四坪二反二丈 五坪一町内一反四丈〈東依〉」(深江文書/神崎荘史料),正応2年3月12日付蒙古合戦勲功賞配分状案に「倉戸郷 乙板舂里 廿六坪一町三丈内八反〈西依〉廿七坪六反二丈 廿八坪九反二丈中 廿九坪五反四丈 卅坪一町 卅二坪五反三丈 卅三坪七反四丈内四反三丈中〈東依〉」(南権平氏所蔵文書/神崎荘史料),建武2年6月付東妙・妙法両寺寺領坪付注文写に「一,田嶋十郎入道幸円(幸隆)倉戸郷乙板舂里廿六坪八反 廿七坪六反二丈 廿八坪七反四丈中 廿九坪五反四丈 卅二坪五反三丈 卅三坪四反二丈中」(東妙寺文書/神崎荘史料)とあり,倉戸郷に属していた。遺称地はないが下板舂里が下板本村に比定されるので,乙板舂里は下板舂里の西であろう。ここには倉戸郷の祖神とみられる高志神社もあり,櫛田神社同様格式の高い神社であった。乙板舂里から甲板舂里の存在も憶測され,里名から舂米部との関連も考えられる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7216362