尾張田里
【おはりだり】
旧国名:肥前
(古代)条里の里名。延喜5年10月1日付筑前国観世音寺資財帳に「肥前国壱拾弐町〈熟田〉基肆郡参町〈並上〉二条基肄田廿五比田九反百卅四歩 卅六土由田一反七十二歩 尾張田里九段百卅四歩 二比田一町」とあり,観世音寺の寺田であった(東京美術学校所蔵/平遺194)。遺称地は残っていない。条は筑後国境から西へ数え進むことが判明している。基肄田(きいだ)に比田があることから,尾張田里は基肄田の南に隣接していた可能性が強い。そうであれば基山(きやま)町中心部の宮浦の木山口から秋光川にかけての一帯ではなかったかと思われる。なお「九反百卅四歩」の前に「一坪」の記載が落ちている。
| KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7216386 |