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梶峰城
【かじみねじょう】


多久(たく)市多久町字宮城にあった城。多久(たく)城ともいう。多久市・大町町境の鬼ノ鼻山(434.6m)から北の多久盆地に向けて北西にのびる山地の先端に近い梶峰山上に設けられた山城。源頼朝の御家人として下向した津久井氏(のちに多久氏となる)は当初南多久の陣内館に居を構えたが,建久年間(一説に建久4年)に多久太郎宗直が山頂(201.4m)に設けた本城を中心に北に砦(129.2m,雄城),南に居館(170m,雌城)を配した。以後350余年多久氏が治めたが,天文13年多久宗時は竜造寺周家に攻められて逃亡,周家が城主となったが翌年有馬氏の支援で奪回。しかし永禄5年竜造寺隆信・長信兄弟に攻められて須古に逃げ,城は長信が治めた。長信は天正15年秀吉より御朱印状を受け多久藩主となったが,孫の安順(やすとし)から多久氏を名乗った。そのため多久太郎宗直の系譜を前多久氏,竜造寺の系譜を後多久氏と呼んで区別している。「丹邱邑誌」の山部に「城山〈号梶峰山古城跡〉,多久宗直子孫代々ノ居城,竜家ニ敵シ,遂ニ城ヲ去ル,仍テ天理府君ノ居城トナル,慶長5年天下太平後城郭破却セラル,今ニ深キ井アリ,城代屋布(シキ)ナド云フ所アリ」とみえる。城は慶長5年廃城となり,近世以降多久藩は鍋島藩の「御親類同格」の多久邑となった。遺構としては本城には土塁らしきものがわずかに確認される程度にすぎない。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7216435