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嘉瀬川村
【かせがわむら】


旧国名:肥前

(近世)江戸期の村名。杵島(きしま)郡のうち。杵島山東麓に位置する。佐賀本藩領。須古郷に属す。「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」ともに1村として見える。近世初頭竜造寺信周が須古城に居を構えて以来,須古鍋島氏の知行地となる。給人・地米高は,「玄梁院様配分帳」では鍋島市兵衛249石余,「大小配分石高帳」では鍋島安房249石余。杵島山中腹の法弓山に天台宗水堂(みつどう)安福寺があり,本尊の聖観世音菩薩は行基の作と伝える(白石町史)。同寺の水堂で旧暦4月15日から7月15日まで行われる出水法要は平安期から続く行事という(白石町史)。水堂霊水略縁起によれば,昔,ある日猟師山中で白鹿を射,矢が命中。金色の光を発して姿が消えた。その場には石造観世音菩薩が立っていた。猟師は殺生の罪を悔い,僧になってこの山で勤行。岩からしたたり落ちる霊水を発見。猟師の名は法弓聖人と号す。平安期高倉天皇病気の時,霊夢に「肥前国日輪山中の霊水で平癒あらん」という。平重盛の要請で水堂の霊水を献上。不思議に天皇は平癒された。重盛は感激し,七堂伽藍を建立。のち兵火で焼失したと伝う。境内に重盛塔がある。山林地からは木材・薪炭を生産する。水利は竜造寺信周が築造した嘉瀬川溜池を利用,彼の法名にちなんで宗桂塘ともいう。村内には条里制遺構が残存する(白石町史)。水堂から湯崎村へ至る道は江戸期以来の主要な道であった。「明治7年取調帳」「郷村区別帳」ともに堤村の枝村に見える。「明治11年戸口帳」によれば,堤村のうちに「嘉瀬川村」と見え,戸数66・人口281。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7216454